2015年8月4日火曜日

秀吉本陣跡・平井山ノ上付城跡(兵庫県三木市平井・与呂木・志染町安福田)

秀吉本陣跡・平井山ノ上付城跡
            (ひでよしほんじんあと・ひらいやまのうえつけじろあと)

●所在地 兵庫県三木市平井・与呂木・志染町安福田
●指定 国史跡(平成25年3月指定)
●築城期 天正6年(1578)7月
●築城者 織田信忠
●高さ 145.07m
●城主 豊臣秀吉
●遺構 郭群・土塁等
●登城日 2014年11月22日

◆解説
 秀吉本陣跡・平井山ノ上付城跡(以下「秀吉本陣跡」とする)は、以前紹介した三木城(兵庫県三木市上の丸)から北東方面へ約3キロ余り向かった平井山に築かれた山城である。
【写真左】「羽柴秀吉本陣」と書かれた幟
 主郭跡に設置されているもので、後段でも紹介するように、この位置には展望台が設置され、南西方向に三木城を俯瞰することができる。












現地の説明板より

国史跡 「三木城跡及び付城跡・土塁」
  秀吉本陣跡平井山ノ上付城跡:平成25年3月指定)

所在地 三木市平井・与呂木(よろき)・志染(しじみ)町安福田(あぶた)

 三木合戦の際、羽柴(後の豊臣)秀吉が本陣とした付城です。
 美襄川(みのかわ)と志染川の間に挟まれた山上に位置し、南西に三木城を望むことができます。
【写真左】駐車場
 おそらく国指定を受けた平成25年度に整備されたものだろう。

 登城口が左側にみえるが、その脇に下段の縄張図と併せ説明板が設置されている。

 この日、駐車場には中型のバスが停まっており、ほどなくして20人前後の団体者が下山してきた。
【写真左】縄張図
 北東部に駐車場が設けられ、そこから階段伝いに進むと、太閤道(伝)があり、周囲には段状の平坦地群が取り巻き、主郭(郭Ⅰ)を過ぎて南側尾根に進むと、大手口(推定)とされる箇所がある。

 なお、これとは別に東側に進むと当城の最高所といわれる箇所があり、郭Ⅱと表記されている。


 天正6年(1578)7月、織田信長の長男・信忠が三木城を支援する神吉(かんき)や志方城(ともに加古川市)を攻略した後、築城したとされています。8月に羽柴秀吉が入ると、10月15日に津田宗久を招いて茶会を開催しました。
 同22日に別所方が襲来して合戦が繰り広げられましたが、別所長治の弟別所治定らが討死するなど、別所方の敗北に終わっています。
【写真左】愛宕社
 登城口の階段を登っていくと、最初に現れるのがこの「愛宕社」とかかれた祠である。






 城は、土塁囲みの平坦部を主郭(Ⅰ)として東西に尾根が延び、その尾根から分かれる北側の尾根には軍勢が駐屯するための段状の平坦地群が設けられています。主郭(Ⅰ)の東側に延びる尾根は、部分的に土塁で囲まれ、櫓台状の土盛りが見られます。
 なお、Ⅱ・ⅢはⅠから独立した曲輪群を形成し、三木城を包囲する付城群の中では最大規模を誇っています。”
【写真左】段状の平坦地群
 当城の特徴の一つで、本陣跡の周辺部にはこうした段状の平坦地群が多く残る。
 兵士の駐屯を目的として施工されたものだが、長径の割に短径(幅)は3、4m前後が多い。


三木合戦

 説明板にもあるように、秀吉が別所長治の拠る三木城を攻め落した戦いである。この合戦については、以前とりあげた三木城(兵庫県三木市上の丸)でも紹介しているので、詳細は省きたい。
【写真左】太閤道
 主郭及びその先の最高所郭Ⅱまで向かう道はほぼ尾根伝いに設置されている。
 地元では(伝)太閤道と呼ばれている。




 なお、説明板にある志方城(兵庫県加古川市志方町志方町720)は既にアップしているが、神吉城は志方城から南に約3キロほど向かった東神吉町神吉に所在する平城で、現在常楽寺という寺院になっている。
 また、ここからさらに南に下がり、加古川を渡ると、三木合戦の際、途中から別所氏と袂を分かち、秀吉方に与し、その後、賤ヶ岳の合戦(賤ヶ岳城(滋賀県長浜市木之本町大音・飯浦)参照)で活躍し、七本槍の1人とされた糟屋武則の居城・加古川城・称名寺(兵庫県加古川市加古川町本町)がある。
【写真左】主郭・その1
 三方を土塁で囲み、南西方向に三木城を望むことができる。
 現地には展望台が設置されている。






織田信忠

 さて、本稿の秀吉本陣跡は説明板にもあるように、築城したのは織田信長の長男・信忠とされている。三木合戦の前、信忠が最も武功を挙げたのが、松永久秀らが籠城した信貴山城攻めである。この戦いのあと信長は主だった戦いの総帥として信忠を指名し、信長後継者としてその地歩を固めていくことになる。しかし、その後本能寺の変において父信長とともに自害したといわれる。享年26歳。
 なお、この他信忠に関連する投稿としては次のものがある。
御着城(兵庫県姫路市御国野町御着)
高遠城(たかとおじょう)跡・長野県上伊那郡高遠町東高遠
【写真左】主郭・その2 土塁
 南西方面に向けて構築されたもので、高さは1m弱のもの。
【写真左】主郭展望台から三木城方面を見る。
 方角としてはこの方面と思われるが、三木城がこの写真に入っているのか判断がつかない。
【写真左】主郭を降りて、東側の方へ向かう。
【写真左】櫓台状の土盛
 主郭の東側に向かうと、およそ100m前後の土盛が現れる。
 またその西端にはさらに高くなった箇所があり、櫓があったものと思われる。なお、この位置から北に延びる尾根にも中小の郭群(段状の平坦地群)が連続している。
【写真左】大手口まで100mの地点
 大手口は南側とされている。
【写真左】段状の平坦地群
 大手口付近にも平坦地群が多くみられる。
【写真左】大手口(推定)
 説明板より

“秀吉本陣への入口
 与呂木から谷伝いに上る登城道の本陣入口で、両側を一段高く切盛りし、段状に平坦地を設け、見張りなどの兵を駐屯させたと思われます。”

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