2012年12月25日火曜日

万徳院跡(広島県山県郡北広島町舞綱)

万徳院跡(まんとくいんあと)

●所在地 広島県山県郡北広島町舞綱
●建立 天正3年(1575)ごろ
●創建者 吉川元長
●遺構 本堂跡、礎石、庭園、門、番所その他
●指定 国指定史跡
●探訪日 2011年6月1日

◆解説
  吉川元春館跡から北東へ2キロほど登った丘陵地にあり、元春の嫡男元長が建立したといわれている。
【写真左】万徳院跡
 ガイダンスホール青松(下段参照)が入口付近に建てられ、その奥に写真の石碑が建つ。






現地の説明板より・その1

“史跡吉川氏城館跡 万徳院跡

 万徳院跡は1575(天正3)年ごろに吉川元長(毛利元就の孫)が発願して建立した寺院の跡です。境内地には本堂や庫裡などの礎石建物跡や庭園があります。
 周辺には万徳院と関係がある礎石建物や墓があります。このうち境内地と参道周辺を発掘調査し、整備しています。
 指定年月日 昭和61年8月28日
         平成9年9月2日追加指定
 指定面積 110,207㎡
       千代田町教育委員会”
【写真左】ガイダンスホール及び駐車場付近
 中央の建物がガイダンスホール青松で、この写真の奥に万徳院がある。

 ガイダンスホールや駐車場などが設置され、整備が行き届いている。



現地の説明板より・その2

“ 万徳院は吉川元長が宗派にとらわれない「諸宗兼学」の寺として1575(天正3)年ごろ建立しました。

 東西80m、南北45mの境内からは本堂、庫裡、位牌を納めたと考えられる霊屋(たまや)、風呂屋、番所、門などの礎石建物跡や、大小の庭園跡、水道跡などが見つかりました。発掘調査によって、寺院の建立で発揮された当時の人々の多様な技術が明らかになりました。
【写真左】上から見た写真
 入口から直線で参道が伸び、境内地へと向かう。














 建立当時の建物は本堂と庫裡の北半分でしたが、1587(天正15)年、元長が没すると菩提寺とするために大改修を行ったようです。その後、1600(慶長5)年に吉川氏が山口県岩国市に移封されると、同時に万徳院も移転しました。
     千代田町教育委員会”
【写真左】参道から境内地を見る。
 参道周辺には庭園風の小川が流れ、野花が咲いていた。
【写真左】境内建物配置図
 中央に門と番所が置かれ、これとは別に右(北側)には通用門が設置されている。
 中に入ると、中央に本堂が置かれ、庫裡が北側に接続して建っている。

 また、南側には庭園が作庭され、本堂裏(西)にも小庭園及び、風呂屋などがあった。

 水道などはこの風呂屋の西から引き込み、庫裡の西側隅に枡があるので、風呂屋、及び小庭園、庫裡などから出た排水をこの枡にまとめていたようだ。その近くには東に向かって小川があるので、この川に流していたのだろう。
【写真左】門の付近
 写真の右方向へ進むと通用門がある。

【写真左】東側に伸びる石積み
 前稿「吉川元春館」と非常によく似ているが、規模はこちらの方が少し小さい。
【写真左】小庭園近くの礎石
 庭を眺めるための建物跡だったのだろう。
【写真左】本堂跡付近
 さすがに本堂とあって、礎石は大きなものが使用されている。
【写真左】庭園跡
 南側にある庭園で、石の配置などはおそらく当時のままだろう。

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