2012年11月11日日曜日

釜峰山城(広島県庄原市口和町湯木)・その2

釜峰山城(かまみねやまじょう)・その2

●所在地 広島県庄原市口和町湯木●築城期 戦国期
●築城者 湯木三郎兵衛則正
●城主 湯木則正、涌吉、則重
●遺構 七条の連続堀切・厳洞窟・釜峰神社・光明寺跡・石垣・堀切・土塁等
●備考 釜峰山森林浴公園
●高さ 標高650m
●登城日 2012年10月24日

◆解説(参考文献『ものがたり 三次の歴史 三次地方史研究会編』等)
 今稿は前稿に引き続き釜峰山城の遺構部分を紹介したいと思う。

【写真左】縄張図
 当城は規模としては大きなものではないが、釜峰山本山に向かう狭い尾根筋を使って、左右の切り立つ切崖を巧みに利用した山城といえる。
【写真左】南側の虎口付近
 登城途中の箇所にあり、若干原形は劣化しているが、虎口跡が残る。
【写真左】土塁
 上段の縄張図には示されていないが、虎口付近の郭東端部には土塁跡が残る。

 この土塁の奥には竪堀があり、ここで一旦防御する役目があったものと思われる。
【写真左】二の丸下の郭段
 二の丸の真下にはご覧の郭があるが、崩落が激しいのか、進入禁止のテープが設置してあった。
【写真左】二の丸
 およそ幅7m×奥行13m程度の規模で、この先には三の丸が控える。

 ただ、この箇所もその先や西側にテープが張り巡らされ、侵入禁止となっている。
【写真左】二の丸から本丸を見上げる。
 比高さ約5m前後で、二の丸の東側に登り道がある。
【写真左】本丸・その1
 展望台と、前稿で紹介した説明板が建っている。

 ただ、この日展望台の屋根裏に蜂が巣を作っていたようで、盛んに威嚇してきたため、この場所にはあまり近づけなかった。
【写真左】本丸・その2
 本丸の北端部には土塁があり、その先には当城の特徴である「七条の連続堀切」が控えている。
【写真左】本丸北端部の土塁
 土塁の高さは北側に向かって約8m前後の幅があり、本丸底面から2,3mの高さを保っている。

 そして、そこから途端に断崖上の切崖が設置され、1番目の堀切が眼下に見える。
 釜峰城でもっとも見どころのある七条の連続堀切の始点である。
【写真左】1番目の堀切・その1
 7か所ある堀切の中でも一番深いもので、本丸側の土塁頂部から約13mを測るという。

 ここへ降りるときは当然ながら周囲の樹木に捕まり、すべるように降りていく。
【写真左】1番目の堀切・その2
 堀切の底部は大分堆積したせいか、緩やかな面となっているが、当時はこれよりもっと深く鋭角に抉られていたと思われる。
【写真左】2番目の堀切
【写真左】3番目の堀切
【写真左】4番目の堀切
 なお、各堀切の近くには№表示の板が置いてある。
【写真左】5番目の堀切
【写真左】6番目の堀切
 上から見たもの。
【写真左】7番目の堀切
 進むにしたがって堀切の深さは浅くなっていくが、尾根幅は狭くなっている。

 この尾根幅も戦略的な意図のもとに加工されたのかもしれない。
【写真左】7番目の堀切の先を見上げる。
 実はこの堀切を進むルートは、釜峰山登城道も兼ねている。このため、堀切も登山者のために大分埋まっていった可能性もある。

 当日管理人はここまでしか向かわなかったが、釜峰山本山の頂上へ向かうこの先の道はどうやらほとんど直登のようだ。
【写真左】振り返って堀切を見る。
 上から見ると、尾根のウエーブに見える。

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