2012年7月21日土曜日

勝賀城(香川県高松市鬼無町)

勝賀城(かつがじょう)

●所在地 香川県高松市鬼無町
●築城期 承久年間(1219~22)
●築城者 香西資村
●城主 香西氏
●高さ 364m
●指定 高松市指定史跡
●遺構 土塁等
●登城日 2012年3月19日

◆解説
 勝賀城は、高松市の西方勝賀山に築かれた山城で、広い山頂部を土塁を駆使して配置した本丸と、くい違い虎口を巧みに設けた遺構が残る。
【写真左】勝賀山城遠望
 南東部から見たもので、美しい形の山である。










現地の説明板より・その1(麓)

“勝賀城跡
   昭和55年8月6日高松市指定
   (高松市鬼無町・香西西町・植松町)


 勝賀山(標高364m)山頂には、鎌倉時代から戦国時代の約360年間、笠居郷(鬼無・香西・下笠居)を本拠に活躍した香西氏歴代の城跡があります。
 広い山頂には頑丈な土塁によって守られた本丸(東西40m、南北60m)を中心に、二の丸、三の丸を形造り、難攻不落の名城をうかがわせてくれます。
 現在も、巧妙な縄張(設計)とともに、普請(土木工事)の様子がよくわかる貴重な中世の山城として、高松市の史跡に指定されました。
     高松市教育委員会”
【写真上】鳥瞰図
 上記案内板の上部に添付されていたもので、勝賀城の支城などとしては、

  1. 佐料城
  2. 作山城
  3. 藤尾城
  4. 植松城
  5. 芝山城
などが図示されている。

現地の説明板より・その1(本丸跡)

“史跡 勝賀城跡
     昭和55年8月6日高松市指定


 中世の讃岐国の豪族香西氏は、阿野・香川郡など中讃を本拠として18代360余年にわたり栄え、その間、山麓の佐料に居館を構え天険の地、勝賀山頂に勝賀城を築き要害城としていた。


 この城跡は、山頂のほぼ平坦地に土塁を主体とする喰い違い虎口、郭、堀切などの様子をよく残し、その保存状態も良好であり、豪族香西氏の城郭遺構の中でも代表的なものであるとともに、中世山城の研究にとっても貴重な史跡である。
    高松市教育委員会”
【写真左】登城道
 登城口は数か所あるようだが、この日は南側の段々畑の一角から向かった。なお、この斜面は傾斜はあるものの、中腹部まで幅の狭い畑が階段状に作られている。


 登城道は全体に九十九折のコースは少ないため、息が荒くなり、何度か休憩しながら向かった。


香西氏(こうざいし)


 説明板にもあるように、香西氏は西国の多くの領主がそうであったように、承久の乱(1221年)の戦功により当時の香川・綾(阿野)地域の郡司に任じられた香西資村を祖としている(別説もあり)。

 室町期に至ると、前稿「十河城(香川県高松市十川東町)」でも紹介した十河氏と同じく、幕府管領であった細川氏の臣下となった。
【写真左】最初の鞍部
 南側から伸びる尾根と合流する位置で、ここから右に旋回し、尾根筋を辿りながら向かう。







 東麓には平時の住まいであった居城・佐料城を置き、北方に面した瀬戸内の湊を使って盛んに貿易も行った。また、そのころから村上水軍や塩飽水軍などとも協調を図り、城下及び湊は大いに栄えたという。

 勝賀山城における戦いの史料は手元に所収していないが、おそらく讃岐・伊予の領主たちがそうであったように、南北朝期には当城もその役割を果たしたものと思われる。
【写真左】尾根筋から頂上部を見る。
 登城道はご覧の通り踏み跡がしっかり残り、多くの人が登っているようだ。

 この付近から眼下に五色台や瀬戸内、及び高松市街地が見えてくる。



 天正3年(1575)になると、長宗我部元親が讃岐に侵入を開始するが、このとき勝賀山城の北東麓の藤尾山に藤尾城を築き抗戦したが、最期は長宗我部氏と和睦を結び、同氏の傘下となった。

 その後、豊臣秀吉による四国征伐が天正13年(1585)に始まると、香西氏は敗れ、長宗我部氏も最終的に秀吉の停戦条件をのみ降伏した。
 勝賀城の廃城はこのときの香西氏敗北と同時期だったと思われる。
【写真左】頂部手前の「折れひづみ」といわれる個所
勝賀城の頂部は本丸を二重の土塁で囲繞し、北側に二の丸・三の丸を配している。




主だった遺構を示す概略図が表示されていたので、下段に示す。

【写真左】概略図
 全体に南北に長く構成されたもので、最高所に本丸を置き、西側は二重の土塁を配置している。

 本丸は歪ながら四角形をなし、東側の本丸木戸(大手門)から入るようになっている。本丸の北側には、三の丸と二の丸が並列して置かれ、北側からの侵入を意識した配置となる。登城ルートの一つである北側コースの区域には、不明確な遺構ながら数段の郭や、堀切跡らしき痕跡も認められる。
【写真左】本丸の西側土塁
 南側から見たもので、この土塁の左側にも空堀を介して、さらにもう一段の低い土塁が残る。
【写真左】石祠
 本丸の中に設置されているもので、香西氏を祀ったものだろう。

 なお、本丸を中心としたこの場所は、最近立木を伐採したようで、非常に見通しが良くなっている。
【写真左】本丸東側の土塁
 北側からみたもので、本丸木戸が手前にある。

 この辺りは土塁の幅が広くなっている。
【写真左】本丸木戸
 左側が本丸で、右側の一段下がった辺りが大手門となり、その奥に三の丸が控える。
【写真左】二の丸付近
 本丸から北にある二の丸・三の丸は、ご覧のようにほとんど手入れがされていないため、藪コギ状態だが、区画の段差はおおむね踏査すると理解できる。
【写真左】本丸より北西方面を見る
 この麓を高松坂出道路が走り、その奥に見える陸続きの小山は紅峰(H:245m)で、さらに左側に少し見える突端部は五色台。
【写真左】勝賀山より西方を見る。
西方には、四国82番札所・根香寺がある。また、さらに西に向かうと、同81番札所・白峯寺があり、近接には「崇徳天皇陵」がある。
【写真左】勝賀城遠望
 南方の高松空港付近から見たもので、この角度からみると、頂部に大きな本丸が構成されていることが想像できる。




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