2012年4月1日日曜日

備中寺山城(岡山県高梁市川面町)・その3

備中寺山城(びっちゅうてらやまじょう)・その3

●所在地 岡山県高梁市川面町
●登城日 2012年3月28日

◆解説
 今稿は本丸・西の丸について紹介したいと思う。
ところで、前稿の写真でも紹介したように、当城は全域にわたって手入れが行き届き、探訪する者にとって非常に気持ちよく踏査できる山城である。

 説明板にもあったように、確かに備中の中では備中松山城(岡山県高梁市内山下)楪城(岡山県新見市上市)などと同じく有数の大規模山城といえる。
【写真左】本丸と西の丸
 どちらも大きな規模を持つ郭群を有している。










入口付近の堀切を超えて左右の遺構を眺めた途端、1年前に登城した豊前の障子ヶ岳城(福岡県田川郡香春町・京都郡みやこ町)と同じ感動を覚えた。

 これだけの範囲を丁寧に清掃することは容易でない。近くにある「松山城」という多くの観光客が訪れる城館に比べ、寺山城の知名度は低いかもしれないが、山城探訪者にとっては決して見劣りするものではなく、頗る満足できる山城である。
 改めて地元関係者にお礼を申し上げたい。
【写真左】東の丸から本丸へ向かう。
 手前は東の丸の南面で、中腹に歩道ができている。


 これはおそらく当時のものでなく、近年設置されたものと思われるが、周辺の伐採作業が行き届いているため、気持ちよく歩ける。 
【写真左】本丸・その1
 入口付近から入って堀切の西側から本丸側区域になるが、その手前にもおおきな郭が控える。


 写真左側が本丸・主郭の位置で、手前右側にその郭が見える。
【写真左】本丸・その2
 前記した郭で、長さは30m弱か。

 搦手の先端部でもあることから、下の堀切までの高低差は約5m前後ある。
【写真左】本丸・その3
 前稿で紹介した「東の丸」を見る。
 なお、馬場跡は東の丸が南北に長いことと、標高が高いため遮られ全く見えないが、この東の丸の裏側にある。


 右側の谷は南麓川面の町につながるが、かなり谷は深い。
【写真左】本丸・その4
 本丸の北側にある2段の郭で、帯状のものである。


 なお、反対の南側にも郭段が構成されているが、こちらは段数は多く4,5段に延びている。
【写真左】本丸・その5
 主郭付近で、やや弓なりの形状のものとなっている。

 おそらく当城の最高所と思われるが、後段に示す西の丸もかなり高い位置にある。
【写真左】本丸から西の丸へ
 本丸から西に向かうと西の丸につながる。

 途中で数段の郭を進み、南側の斜面を下りていくと、写真で示した「堀切」が出てくる。
【写真左】堀切
 写真右側が本丸側で、左に向かうと西の丸へ向かう。

 現在は大分浅くなっているが、当時はもっと深く抉られていたと思われる。
【写真左】西の丸・その1
 次に西の丸に向かう。

 本丸と西の丸の間は規模の大きな帯郭が介在し、事実上兵站基地だったと思われる。
【写真左】西の丸・その2
 西の丸の最高所の郭で、規模は本丸主郭が長細い形状に対し、こちらはほぼ円形に近い。


 文字通り西方(実際には北方)を扼する場所だったと思われ、周囲には郭段が下に連続している。
【写真左】西の丸・その3
 最高所から少し下がったところの郭で、この下にさらに郭段がつながる。

 写真左は高梁川の上流部。
【写真左】西の丸・その4
 南に延びた郭で、確か3段目あたりのものだったと記憶している。
【写真左】西の丸・その5
 南側の郭から東の丸方面を見たもので、寺山城の南斜面を見ることができる。

 このように中腹部まできれいに伐採整備されている山城はそれほど多くはない。


 平坦部の伐採作業でも大変なのに、このような斜面の伐採作業は並大抵のものではないだろう。
 地元関係者の方々にに改めて感謝したい。
【写真左】西の丸・その6
 堀切
 南麓に延びる郭群の最下段部に見えたもので、この堀切は当時の面影をよく残している。
【写真左】備中松山城方面を見る。
 寺山城の西の丸付近から南東方向に目を転ずると、臥牛山らしき山容を見せる山が見える。

 おそらく、この右の少し下がった所が備中松山城ではないかと思われる。

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