2011年8月28日日曜日

青掛山城(広島県庄原市峰田町)

青掛山城(あおがけやまじょう)

●所在地 広島県庄原市峰田町
●別名 青影城・青嶽山城・青樹山城・赤川城・片山城・三根の城
●築城期 応永15年(1408)
●築城者 赤川氏
●高さ 標高560m(比高250m)
●遺構 郭
●登城日 2007年12月26日

◆解説(参考文献『日本城郭大系第13巻』等)
 中国自動車道と並行して走る庄原東城線(23号線)が、国道432号線と交わる庄原市峰田町の青嶽山(H:550.6m)に築かれた山城である。
【写真左】登城口
 写真は登り口付近のもの。頂上にアンテナなどがあるため、登城道は車が通れるものとなっている。ただ、かなり幅員が狭いところや、急カーブ、急坂が多いので、慎重な運転が必要。


 登城したのが2007年ということで、記憶がだいぶ薄らいでいるが、車で頂上まで行けたことと、眺望の素晴らしさに満足したという記憶が残っている。

現地の説明板より

青影城の由来
 其の昔、赤川氏は応永15年(室町時代の初期、1408年)、将軍足利義満公の命により、下野国那須郡佐々山城より転国し、この青嶽山に築城した。


 その何代目かに毛利氏の家臣となり、偶々戦国時代に入り、左京亮、十郎左衛門之秀等の豪傑が出て、毛利の為に各地で転戦し、戦功を立て慶長5年(関ヶ原合戦1600年)の頃まで在城し、毛利氏が山口県萩に移り(1601年)廃城となった。
 青嶽山は別名片山城とも言う。
 (備後の国 古城記、其の他による)


昭和56年3月
  庄原市観光協会”
【写真左】祠
 頂上はかなり広く整備されている。この写真はその一角にある祠で、中には小さな仏像が祀られている。





 青掛山城の周囲には、茶臼山城と青芳山城という二つの山城がある。これらも赤川氏の持城であろうとしている(『日本城郭大系第13巻』)。

赤川氏

 青掛山城主赤川氏は、現地の説明板によると、応永15年足利義満の命によって、下野国から下向してきたという。応永15年(1408)は足利義満が、この年5月6日に亡くなった年でもある。
 下野国、すなわち現在の栃木県から、この時期に西国・備後の山の中に移って来た経緯を考えると、何らかの論功行賞によるものだろう。
【写真左】テレビ中継所脇付近
 こうした施設が建っているためか、相当造成され遺構は殆ど不明だ。

 史料では、三角点付近の15m×10mを詰の丸とし、その下に詰の丸の約2倍の郭があり、更にその下に60m×60mの三の丸がある、と記されているが、詳細に確認していない。
 

 義満自身は、これより先の応永2年(1395)に出家し、将軍を義持に委ねたことになっているが、実際は院政のような形で、依然として室町幕府の最高権力者であった。時期としては、赤川氏が西国に下向した応永15年以前に、義満より備後国へ移るよう命が下りていたと思われる。

 さて、備後国は義満の時代、強大な守護大名であった山名氏の領地でもあった。このため、幕府を脅かすほどの守護大名の力をそぎ落とすべく、あらゆる手段を用いた。特に、明徳の乱(1391年)や、応永の乱(1399)などを通して、次第に幕府権力の強化を進めて行った。

 元中6年(1389)、備後国を領していた山名時義が死去し、義満は跡を継いだ時煕と義弟氏之を、同じ山名一族の氏清と満幸によって討伐させることを命じた。これは山名氏一族の内紛が発端であるが、それを義満が巧みに利用したものである。
【写真左】眺望・その1
 この日は特に視界がよく、ほぼ360度見渡す事が出来る。








 その後、討伐した氏清と満清を陥れていく。この結果、元中8年(1391)12月、大内義弘や細川頼之を使って、氏清を敗死させ、満幸・氏家らは敗走した。これが明徳の乱の顛末である。

 その後、今度は戦功のあった大内義弘が義満と対立、応永6年(1399)10月、大内義弘は鎌倉公方の足利満兼と呼応し、討幕を企て兵を募った(応永の乱)。同年12月21日、堺城陥落し、大内義弘は戦死した。

 大内義弘が挙兵する前の彼の領国は、地元山口(周防・長門)及び、石見国、そして分国として紀州などがあった。

 以上のようなことから、赤川氏は大内氏に対する前線基地的の(石見・周防の位置)役目として、幕府(義満)から、当地(庄原市峰田町)を宛がわれたものだろう。

 なお、上掲した赤川氏の出自とは別に、「高田郡史」では、建武3年(1336)に、安芸吉田に来住し代々毛利氏に仕えたという説もある。
【写真左】眺望・その2
 専用の展望台が設置されている。











戦国期

 戦国期になると、説明板にもあるように、赤川左京亮元助・赤川十郎左衛門尉就秀など、毛利氏の家臣として活躍していく。

【写真左】眺望・その3
 北東方面と思われるので、前稿「大富山城」・「蟻腰城」方面になる。

0 件のコメント:

コメントを投稿