2010年6月16日水曜日

伊勢ヶ坪城(広島市安佐北区大林町)

伊勢ヶ坪城(いせがつぼじょう)

●所在地 広島県広島市安佐北区大林町
●登城日 2008年3月15日
●築城期 13世紀前半
●築城者 熊谷直時
●高さ 標高130m、比高30m
●遺構 郭・堀切・井戸等
●指定 県史跡
●別名 塩が坪

◆解説(参考文献「日本城郭大系第13巻」等)
 出雲方面から国道54号線を南下し、旧可部町といわれた大林地区に差し掛かると、左側に小規模な丘が見える。看板がなければ、山城に見えないかもしれない。
【写真左】伊勢ヶ坪城遠望
 国道54号線から大林小学校側(南)に少し入ったところにあり、ぐるっと旋回した道の東側から撮ったもの。

 山の幅は麓で最大100m程度で、南西に伸びるにつれて細い尾根となって、遺構全域の長さも150m程度である。



 築城者は、後に当城よりさらに3キロ余り南下した、可部町下町屋に築城される高松山城を本城とした熊谷氏の一族・直時とされている。

 承久の変において討死した熊谷直時の子・直時は、その後軍功により安芸国三入荘(可部町)の地頭職が与えられ、同荘北にある大林の地に当城を築いたといわれる。

 熊谷氏については、以前出雲国佐田高櫓城の稿で少し紹介しているが、もともと武蔵国熊谷郷の出身である。伊勢ヶ坪城を築城した熊谷氏は、戦国期になると、前述した高松山城を拠点として、勢力を拡大していく。
【写真左】北東端の郭から、上の写真を撮った位置の道を見下ろしたもの
 現在は周囲に道路などが設置されているが、山の形状を考えると、当時は当城の全周囲が険峻な切崖状態だったと思われる。

 なお、この写真の左側付近には土居跡といわれた個所があったので、石碑が建立されているところを中心とした場所が、そのあたりになると思われる。


 重複する内容もあるが、現地の説明板より転載しておく。

“広島県史跡 熊谷氏の遺跡 伊勢ヶ坪城跡
  
   指定 昭和45年1月30日
   広島市可部町大字大林字蓮華

 承久の変(1221)で討死した熊谷直国の功績が、鎌倉幕府に認められ、その子直時は、安芸国三入荘の地頭に任ぜられた。武蔵国熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)からこの地に赴任した直時は、三入荘北部の比高30mばかりのこの小高い山に、伊勢ヶ坪城を築いた。
【写真左】最高所(本丸)から南西方向に連続する郭群
 中小の郭が4,5カ所、下がりながら構築されている。なお、南西端の西側には根の谷川という河川が流れているので、事実上の堀の役目をしていたものと思われる。



 この城は東側の山との連なりを空堀で断ち切り、一応独立した山城の性格を持っている。また東端の山頂を削平して、本丸としさらに西に向かって四つの郭を配置したことが、今日の遺構から判断できる。

 三入荘での地歩を固めた熊谷氏は、その勢力の拡大を図って、戦略的により優れた高松山にやがて本拠を移すことになる。その時期は室町時代に入ってからと思われる。
 なお、高松山へ遷城後の伊勢ヶ坪城は、しばらくの間は隠居所として利用されていたといわれる。
 昭和53年3月1日 広島市教育委員会”
【写真左】伊勢ヶ坪城から南西方向に三入の街並みを見る。
 中央斜めに走っているのが国道54号線で、左の山の後背には、後に移城する高松山城が控える。

 なお、高松山城については、この日登城を試みたが、時間的に余裕がなくなったため、いまだに未登城である。

 幸い、度々ご紹介している驚異的な登城記録を誇るサイト・「城格放浪記」氏の詳細な写真があるので、御覧頂きたい。

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