2009年12月4日金曜日

波佐一本松城(島根県浜田市金城町波佐)

波佐一本松城(はざいっぽんまつじょう)

●所在地 島根県浜田市金城町波佐
●探訪日 2009年4月27日
●標高 450m
●築城期 鎌倉時代
●築城者 佐々木刑部
●遺構 畝状空堀群29、水の手(軍用水路)、郭、腰郭、土塁、石垣、堀切、竪堀、櫓台など

◆解説(「島根県遺跡データーベース」「島根県HP」等)
●この日(4月27日)前稿の「花城」探訪後、当城麓の波佐公民館駐車場に車をとめ、登城口を確認すべく、公民館の人に訊ねた。たまたま、館長もおられ、当城の様子などを聞いてみた。すると、
「実は、数年前、麓のキャンプ場で子供たちが夏にキャンプをしていたら、クマが出てきて、それ以来キャンプ場も開店休業状態で、しかも城山付近から出てきたらしいとのことで、最近は誰も上がっていないようだ」
 とのこと。そのために、登城路はあるが、最近はほとんど管理していないので、まず無理だろう、とのこと。 これを聞いて残念だったが、クマに遭遇する確率が高い山城に登っていく勇気もなく、断念した。


●遺跡データベースを見ると、この山城の遺構種類は豊富である。
 築城期は鎌倉期で、南北朝時代「波佐谷の合戦」や、戦国期にはこの地が吉川元春夫人の御料所でもあったという。
 写真を撮っていないが、近くの八幡宮は佐々木高綱が文治元年に建立し、その後戦国期には尼子経久が再建立したという。
 前稿の「花城」と2キロ程度しか離れていないので、おそらくこの城が本城とされ、花城は支城の位置付けだったと思われる。
 いつかは登城してみたい山城である。
【写真左】波佐一本松城遠望
 手前の建物が公民館





【写真上】公民館前に掲示されていた当地の歴史紹介板
 当城の山の西麓には「馬場」という地区もあり、おそらくこの付近一帯が一族の集落だったと思われる。

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