2009年11月23日月曜日

戸構城(岡山県高梁市備中町西山)

戸構城(とがまえじょう)

●所在地 岡山県高梁市備中町西山
●探訪日 2009年11月16日
●築城期 不明
●城主  不明
●遺構  なし
●備考  大己貴神社

◆解説(参考文献:『城格放浪記』等)
 中国道の広島東城ICを降りて、R182号線に入り、岡山県新見市哲西町野馳から大野部備中線(313号線)を南南東に行くと、高梁市備中町西山地区にたどり着く。この付近は成羽川が中央を横断し、広い丘陵地もあるが、谷は急峻で、幹線道路も狭い道が多い。今回はこの地区にある戸構城(呼称が不明なため「とがまえじょう」と呼ぶことにする)を取り上げる。
 当城についてはは残念ながら、ほとんど山城の遺構は残っておらず、「大己貴神社」という神社にすっかり変わってしまっている。
 備中町には、中世のころ、近江国から領家職として平川氏が入部し、領主となって「紫城」という城を築いたという記録があるが、この城はこの西山地区より南東部にある平川地区になるため、戸構城についてはほとんど資料がない。
 この近くのもう一つの山城としては、以前取り上げた伯耆(鳥取県)の江府町にある「美女石城」の城主でもあった天笠氏の居城・「軽尾城」があるが、距離的にはこの城が近いので、同氏との関連があるかもしれない。
【写真左】西山地区の中心部にある案内図
 戸構城・大己貴神社の位置は、この図のほぼ中央部にある。
 地元の案内図に掲載されているぐらいなら、「戸構城」関係の部分的な遺構や、説明板があると思っていたが、そうしたものは結局見いだせなかった。


【写真左】戸構城遠望
 登り道は2カ所あるが、現在は新たに造られた車道幅の道が一般的のようだ。
 この写真は、旧道の鳥居下からみたもの(下の写真参照)。
【写真左】鳥居側の旧参道
 しいて言えば、この周辺が改変されていない部分になる。



【写真左】現在の登り道
 中央部の石柱は「大己貴神社」の刻銘がはいったもの。
本殿下の駐車場まで道が造られてはいるが、舗装されていないので、普通車では無理がある。
【写真左】参道途中付近
 当城は小規模だったこともあり、車道を造る際、遺構がほとんど失われた感がある。車道は当山を旋回しながら登る設計になっている。

【写真左】本丸跡
 この場所には本殿が建立され、周辺境内も広くとるためか、山城の遺構を全く残さず削平、平坦地となっている。長径30m、短径20m前後の大きさ。ただ、本丸の大きさは現在とさほど変わっていないと思われるので、当時もこのくらいのものだっただろう。

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