2009年4月26日日曜日

神代城(島根県雲南市三刀屋町神代)

神代城(こうじろじょう)

●所在地 島根県雲南市三刀屋町神代 尚免
●高さ H280m
●備考 神代砦
●遺構 郭・腰郭・堀切等
●登城日 2008年12月10日

◆解説(参考文献『三刀屋町誌』等)
 神代城については、「三刀屋町誌」に次のように書かれている。

“神代古城山(こうじろこじょうざん) 伝説

 毛利の臣に神代大炊介(こうじろおおいのすけ)という豪勇の士があった。大炊介はもと大友宗麟の家臣であったが、いささかの事情があって、そこから追い出され、毛利に身を寄せた武将だといわれている。

 大炊介は、永禄12年(1569)7月17日、石見銀山城攻防の戦いに奮戦している。その居城が神代の古城山である。
【写真左】神代城遠望
 東側から見たもの。
神代城が所在する山はさほど大きなものではない。






 
 館は現在でも殿畑の地名があるが、神代の上土井(当主・奥田誉之)から下土井(当主・奥田清人)の宅地一帯にあったといわれる。

 ここからは幕末の文久年間(1862~3年頃)、金貨銀貨その他薄茶碾臼(ひきうす)、杉の扉などが出土し、昭和初期には神代の人家に保管されていると「中野村史」は記している。

 当時の居城がすべてそうであったように、神代の場合も館は麓の平地で、館の後山が戦時に立て籠る城となる。
【写真左】神代城の位置
 地元に設置してある案内図を元に管理人によって図示したもの。
 案内図そのものが大分古いため、少しわかりにくいかもしれない。


 
 後藤政義氏宅の後ろの山頂には、5畝歩余の平地がある。昭和3年、御大典記念事業として登山道が整備され、城址には神代大炊介の記念碑と桜樹が植えられている。

 大炊介の墓地も下土井の墓地付近と推定されている。しかし、大炊介の勢力範囲、在城期間、家臣団、その他一切のことは解っていない。
 また、大炊介との関係は不明であるが、神代には「国ヵ墓」の地名がある。現在の神代神社のあたりである。

 伝説によれば、掛合西谷の城主・長門守(長門守伝説については「徳利地蔵」の項でも触れている)が、病気のため湯村温泉で湯治せんと、中野から六重、神代、田井へ通ずる車道を造られた。

 中野の南の山頂より徳坊主峠を越えて、六重粟谷に入り、神代神庭に出て、今の神代神社付近まで来て、遂に病没したという。長門守の墓を信心すると霊験あらたかというので、参拝する者が多かったという。
    (「中野村史」より)”
【写真左】下土井の上にある削平地
 近代になって造成された削平地と思われるが、その奥に当城が見える。
【写真左】東麓側から見た切崖
 登城道が分からなかったため、しばらく廻りをウロウロしていたら、この光景が飛び込んできた。
 近くから見るとなかなか要害性がある。
その後、南側に踏み込む箇所があったので、そこから向かう。
【写真左】馬場跡か
 郭としての機能もあったと思われるが、主として馬場の目的として使われたのだろう。
 ただ、周囲は大分重機で改変されたようだ。
このあと、尾根筋を基準にさらに北に進む。
【写真左】郭
 当城最大の郭で、上記馬場跡から尾根伝いに進むと、とたんに高低差のある斜面に出くわす。ここを降りるとご覧の広い削平地が現れた。
 植林してあるため、昼間でも薄暗いが、この郭はかなりの規模を持つ。



大炊介は毛利方か尼子方か

 ところで、神代大炊介なる武将は以前からきになっていた武将である。
 というのも、『三刀屋町誌』(「中野村史」)では、もともと豊後(大分)の大友宗麟(大友宗麟墓地(大分県津久見市大字津久見字ミウチ)臼杵城(大分県臼杵市大字臼杵)参照)の家臣であったが、「いささかの事情があって、大友氏から追い出され、毛利氏に身を寄せた…」と書かれている。

 「いささかの事情」とは、どういう内容だったのだろう。しかも、毛利に身を寄せたといって、安芸ではなく、出雲に来ている。それも山深い奥出雲である。
 そしてさらに混乱させるのは、下段の写真にもあるように、石碑に「尼子(の)将」と刻銘されていることである。こうなると、どちらについた武将なのかよくわからないことになってしまう。
【写真左】尾根筋最高所
 先ほどの郭を通り過ぎ、不定型な尾根を進むと、最高所と思われる箇所にでた。
 熊笹の間に何か石のようなものが見える。
【写真左】石碑
 「尼子将 神代大炊介」と刻銘された石碑を発見。
 これが、昭和3年に建立されたものだろう。

 なお、この箇所が主郭と思われるが、4,5m前後の規模で、郭というより物見台もしくは基壇として使用されたのかもしれない。
【写真左】神代神社参道
 神代城から約1キロ余り南下したところに祀られている。
 大炊介との直接の関係は不明だが、戦国期には何等かのかかわりがあったものだろう。
【写真左】神代神社 本殿





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