2009年2月2日月曜日

小田・富士ヶ城(島根県出雲市多伎町)その2





























◆この稿は、前回取り上げた小田・富士ヶ城探訪の際、間違って登って行った時の報告である。
 結論から言って、間違ったことが思わぬ収穫で、この山付近も限りなく山城関係の遺構と考えたい。担当所管の島根県や出雲市がどの程度調査したのか分からないが、私にはそう思える。
◆前回の写真で示した舗装された道路をどんどん登って行くと、南から東にかけてぐるっと回るようなルートの道なっており、途中で左側に牛舎の廃屋があり、突き当りには同じく廃屋となった民家にぶち当たった。
●この間にまったく富士ヶ城の案内板がなかったため、少し引き返したところ、南側に行く山道が見えたので、この道を登って行った。しばらくすると、左右に分かれる地点に来て、まず左側の道を尾根伝いに登っていくと、谷の最終地点にいたり、そこには谷の傾斜を利用した池ができていたが、水はほとんどなかった。
●再びここからいったん別れた地点まで戻り、今度は右の道を行くと、途中からだんだんと平坦な地形になり、突然土橋(写真参照)のようなものが目に入った。よく見ると、その土橋の両側には5,6m四方の二つの池ができており、この土橋の下は連絡管(おそらく石材をくりぬいた穴)のようなものが設置されている。下流部の池の土手は頑丈な施工がしてあり、同じくその上を十分に歩くことができる。
◆一般的な水田用のため池と構造がだいぶ違うので、他の用途に使われていた可能性(生活用の飲料水など)がある。
 さらに奥に行くと、左右の山並みの尾根付近に出て、右(北西側)の山(写真参照)を見ると、まるで山城の本丸を見上げるような雰囲気がある。さっそく登ってみたのが添付写真である。大きさはさほど大きくはないものの、明らかに人工的に削平された平坦な形状で、やや楕円形に近い。直径15m前後か。
 この位置から、北東部に目を転じると、富士ヶ城の上部が少し見え、さらにその奥に日本海が見える。もちろんこの頂上部の雑木をすべて伐採すれば、この北西部眼下の谷の集落はすべて見えるだろう。
◆どちらにしても、この遺構は富士ヶ城と尾根伝いにつながっているので、最盛期はこの付近までが城郭として使われ、おもに平常時の生活(武家屋敷か)がなされていたのではないだろうか。

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